秋 だ よ り



今シーズン程オープン日を決定するのに困った年はありませんでし
た。2月は記録的な高温で3月は冬に逆戻りし、最終的には3月
16日(土)のオープンとなりました。秋田市の桜の開花予想が4月
12日と発表されました。当ゴルフ場のショートホールはホールイ
ンワン記念樹が植えられています。3、6、15、17番のショー
トホールになります。4月25日頃までに見頃となりますので、桜
の下でホールインワンを目指してください。

2023年4月20日撮影
理事長
令和6年4月1日

2024年1月23日撮影
令和6年1月24日

あけましておめでとうございます。
3月上旬のオープンを目指して準備して参りますので皆様の沢山の
ご予約をお待ち致しております。


2023年12月29日撮影

ABEMAツアー第7戦
「南秋田CCチャレンジトーナメント」7月24日〜26日開催決定


令和6年1月1日


本年も多くの皆様に当クラブをご利用賜り心より御礼申し上げます。
皆様にとって素晴らしい新年になることをお祈り致します。
令和5年12月29日


12月5日(火) 生源寺龍憲プロ来秋

12月4日、都内ホテルで2023年度のジャパンゴルフツアー表
彰式で南秋田CCチャレンジトーナメントで優勝し、2023年
ABEMAツアー2勝で賞金王となり、2024年はフルシーズンのツア
ー出場権を獲得しており大活躍が期待されています。翌日の5日に
は秋田に来てゴルフ場へ表敬訪問してくださいました。その後、秋
田市内の聖園天使園と感恩講児童保育園を訪れチャレンジ優勝副賞
の(提供:JAあきたなまはげ、JAグループ秋田、JA全農あきた)お米
サキホコレ計90sを寄贈しました。その後子供達とスナックゴルフ
のパターを利用してゴルフの楽しさ等教えていただき、子供達は初
めての経験で大喜びでした。生源寺プロも「子供達からパワーをい
ただき本当に秋田に来て良かったです。」と話していました。

クラブハウスにて
歴代優勝者の色紙に新たに生源寺プロが加わる
秋田テレビ・秋田魁新聞のインタビュー
聖園天使園にて 感恩講児童保育園にて
令和5年12月8日

22日は気温も高く晴れ間も出てゴルフ日和となりました。プレー
ヤーの皆様は楽しそうにティショットをしています。また、10テ
ィ周辺のモミジの紅葉が日差しを浴びてとても美しかったので写真
を撮りました。
令和5年11月22日

大謝恩ゴルフ大会
11月13日〜17日

当クラブ開場以来続いているイベントで今年ご来場いただいたプレ
ーヤーの皆様に感謝を込めたゴルフコンペです。なかでも15,16
日は素晴らしい天気に恵まれ、多勢の方々に参加していただきまし
た。参加賞には毎年恒例の人気写真家「秋山真邦」氏のセントアン
ドリュースのカレンダーです。レストランスタッフからは特性のと
ん汁を作ってもらい皆様にとても喜んでいただきました。
いよいよシーズンも残り少なくなって参りました。天気予報など参
考にして早目のご予約をお待ちしております。なお、通常営業は
12月3日迄とし、その後は凍結防止の為、お風呂は休止して営業
しますので宜しくお願い致します。

令和5年11月17日

クラブハウス周りの紅葉が始まりました。是非ご来場ください。

令和5年10月29日


会員の集い

田村和男理事長によるゴルフ場内の花木29種類がどこに植えてい
るか、そして樹木の解説をしました。特にクラブの記念樹である
「やまぼうし」「サラサドウダン」は開場20周年(平成8年10月
10日)に岩手県紫波町より移植したいきさつについても話があり
ました。参加者には1チームずつ29種類の花木がどこに植えてあ
るか書いていただくクイズも楽しく行われ、20問を解いた千田悟
さんチームに特別賞が送られました。参加チームは4名1組の23
チームでした。

成績表
優勝チーム

令和5年10月9日



金木犀が咲きました。香りがとてもいいです。

5番ホールアウトして左側斜面
7番ホールアウトして橋までの間の左側
10番ティイングエリア付近
令和5年10月4日

7月中旬より県内は記録的大雨、そしてその後猛烈な暑さが続き
入場者も激減してしまいました。特にグリーンについては散水用の
ポンプが故障し、特殊なもので修理に2カ月も要し、大ダメージを
受けてしまい皆様に大変ご迷惑をお掛け致しました。9月に入りポ
ンプの修理完成とグリーンの種蒔きの条件の一つであります適正気
温に下がるのを待って9月中旬より施工致し、10月1日現在順調
に発芽し成長しています。秋田のゴルフシーズンもあと残すところ
2カ月となりました。なんとか天候が「普通」であって欲しいです。
雨も降って来て緑も鮮やかになってきました
令和5年10月1日


8/9の「夏の南秋田祭り」では猛暑の中、大勢の方々が屋外でのバ
ーベキューを楽しんでおられました。
刈り込みが進みラフでもボールが見えるようになりました
令和5年8月9日


先日の大雨でコース内が軟弱の為、芝生の刈り込みが出来ず長らく
皆様にご迷惑をお掛けしましたが、ようやく通常のペースで刈り込
みが出来、ボールも探しやすくなりました。皆様のご来場をお待ち
致しております。なお、食事付の日を追加致しましたので是非ご利
用ください。
令和5年8月4日


14日 ABEMA TOUR第7戦 南秋田CCチャレンジトーナメ
ントは生源寺龍憲プロが15アンダーで優勝しました。
ご声援、ご支援ありがとうございました。

青木功会長と生源寺龍憲
生源寺龍憲 最終日1番ティーショット


13日 前日の大雨によりホールアウト出来なかった選手が午前7
時に残されたホールよりホーンの合図で一斉にスタートしました。
予選2日目はアウト・インスタート共に午前8時30分よりオンタ
イムでスタート致しました。

アウトスタート
1組目 
岩田大河 吉本侑平
松田一将 上平栄道

インスタート2組目
長谷川祥平 高野碧輝
前粟藏俊太 古川雄大

スタート前のスナップ


12日 予選ラウンドTが予定通り7:00にアウト・イン共にスター
トしました。
1組 アウトスタート
2組 インスタート

10日 プロアマ競技も終了し、11日は公式練習日で選手の皆さ
んはそれぞれスタート準備をし、スタートしていきました。

秋田市出身の鈴木之人プロは秋田商業時代、国体の秋田県代表でそ
の後東北福祉大に進み卒業後プロテストに合格。現在は宮城県の泉
国際ゴルフ倶楽部に所属して頑張っています。
秋田の皆さんの応援を宜しくお願い致します。
秋田市広面出身鈴木之人プロ
右より塩見好輝、鈴木之人、高花翔太
1番ホールスタート
令和5年7月11日

10日 プロアマ競技は19組76名で19名のプロゴルファーの
皆様に参加いただき、楽しい1日を過ごしました。
7月10日にプロアマ競技も終了し、11日は公式練習日で選手の
楽しそうな手嶋多一チーム 優勝した阿部裕樹チーム

トーナメントもいよいよあと数日となって参りました。秋田は連日
天候に恵まれ助かっています。あとはトーナメント中の晴天を祈る
ばかりです。
7月5日現在
令和5年7月5日

名物3番ホールのアジサイが見頃となりました。是非ご来場ください。
6月27日現在


チャレンジトーナメント迄3週間を切ってきました。毎日がコー
スメンテナンスに追われて大忙しです。コースも新緑が進みよう
やく野芝も生えそろってきましたが、ラフの生育が遅れています。
一部フェアウェイが狭くなったホールもありますが、トーナメン
ト前のゴルフプレーをお楽しみください。なお、練習場の小屋及
び男女トイレもリニューアル致し、マスター室前から練習場への
歩経路もかなり広く周りも明るくなり、天然芝生の通路となって
います。名物3番ホールのアジサイもこれからが見頃となります。
是非ご来場ください。
6月21日現在
令和5年6月21日


レーモンド設計事務所の監修のもと、男女の浴室、脱衣場、洗面所のリニューアルが終了致しました。お客様には大変好評です。

男子浴室
男子脱衣場
男子洗面所
女子浴室
女子脱衣場
女子洗面所



南秋田の四季



−総支配人のひとりごとB−

コース内の茶屋・休み小屋
(雷の避難場所)
4(峠の茶屋)、5、6、12、14(雀のお宿)、16番ホール

建設に当たりレーモンド設計事務所の石川恒雄社長と一緒に静岡
県御殿場市に
る富士カントリークラブ迄見学に行きました。(東京
GC、相模GC、那須GC
等も設計)同行した地元秋田市金足出身の
現代の名工建築大工、三浦一夫氏による施工で、秋田市千秋公園
の大手門の再建を担当しました。


レーモンド定番の番傘を開いたような八角形の茶屋
ちなみに当初はかやぶき屋根から杉皮屋根、そして現在に至る
令和2年12月7日

−総支配人のひとりごとA−
知らなかった!

ホールカップの直径は何センチか知っていますか?と聞かれてそ
れは全世界共通で4.25インチ(10.8センチ)そこまでは答えられま
したが、それでは一体何故4.25インチと言われれば分かりません
でした。先日ある書物に載っていました。「セントアンドリュー
ス市の水道管」のサイズが4.25インチだったのです。19世紀後半
迄、グリーン上のカップはただ土を掘り返しただけの穴で、大き
さはコースによってまちまちだったようです。ラウンドが進むに
つれて崩れてしまうという難点があったりしました。そこでセン
トアンドリュースのグリーンキーパーだったトム・モリス・シニ
ア(全英オープン優勝4回の名ゴルファー)が水道管を適当な長さに
切って地面に埋めてカップとした。やがてこれが定着し、1891年
にはR&A(ロイヤル&エイシェントゴルフクラブ)がカップの直系
を正式にこの水道管のサイズと同じに定めたとのことです。ちな
みにカップの深さは4インチ(10.16センチ)以上でなければならな
い(R&A)。だそうです。


令和2年6月3日

−総支配人のひとりごと@−

「ご遠慮下さい」「お控え下さい」「自粛して下さい」という言
葉が色々なところからメッセージとして発せられていますが、ゴ
ルフ場でも似たようなことが起こるのではないでしょうか。
昭和、平成、令和と時代が進むにつれてこれらの言葉の受け取り
方が違うようです。昔、とある大きなゴルフ大会でパッティング
グリーン周りでアプローチをしている人に競技委員が「君、この
看板が見えないのか」と聞きました。そこには"アプローチはご
遠慮下さい"と書いてありました。その人は「私は遠慮しません
ので」と返事をしたので競技委員はすぐに支配人を呼んで"アプ
ローチは禁止"と書き直すよう命じました。日本語特有の言い回
しは昔の人は限りなく100%禁止と思いますが、時代が進むと受
け取り方が違うのです。当時、私は競技委員の方と顔を見合わせ
唖然としたものです。今回の"不要・不急の外出は自粛して下さ
い"等々...受け取り方の違いと同じではないでしょうか。
もう「イエス」か「ノー」しか無いのではないでしょうか。
サービス業はお客様を大切にし、言葉の表現がとても丁寧ですが、
これから先、どう受け止められるか心配です。




好評のスコアカード




日本みつ蜂と自然度
平成29年4月
昔は日本全国に多くの日本みつ蜂が普通に目撃されていましたが、現在は自然
豊かな場所に細々としかし、しぶとく生きています。南秋田CCは自然豊かな
コースを目指しており、この度日本みつ蜂養蜂研究家、滋賀県大津市在住松井
勤様のご指導のもとゴルフ場内5ヶ所に巣箱を設置致しました。7月12日には
蜂蜜を採取することが出来ました。

日本みつ蜂待ち箱設置現地調査 4月12日 採蜜作業 7月12日
野生の日本みつ蜂確認 5月12日 採蜜を添えたパンケーキをレストランで提供


スタート室前から見事に鳥海山の写真が撮れました。
ほとんど撮ることのできない貴重な写真です。
プレーヤーの皆様も驚きでした。


新年号令和を記念して

令和元年5月3日、理事・委員による記念植樹、そして
キンモクセイを7番ホールから8番ホールに向かうイン
ターバルを中心に30本を植えました。
10月下旬頃、早く甘い香りを放って欲しいです。


開場40周年記念碑が完成しました

2016日本スポーツマスターズ2016秋田大会の開催記念と
ルールブックよりゴルフの精神を引用致しました

10ホールティインググランド付近に建立しました
碑 文

開場40周年記念碑

日本スポーツマスターズ2016秋田大会
ゴルフ競技女子会場 2016年9月7日〜9日

            ゴルフの精神
        ゴルフはほとんどの場合レフェリーの立ち会いなしに
        行われる。また、ゴルフゲームは、プレーヤーの一人
        ひとりが他のプレーヤーに対しても心くばりをし、ゴ
        ルフ規則を守ってプレーするというその誠実さに頼っ
        ている。プレーヤーはみな、どのように競い合ってい
        るときでもそのようなことに関係なく、礼儀正しさと
        スポーツマンシップを常に示しながら洗練されたマナ
        ーで立ちふるまうべきである。これこそが正に、ゴル
        フの精神なのである。


            エチケットを守って楽しいゴルフを。
            ルール規則第一章エチケットより抜粋。

           2016年10月10日建立
          南秋田カントリークラブ



開場35周年を記念して国際生物多様性の日(5月22日)
の記念植樹を2011年10月10日行いました
碑 文

生物多様性とゴルフ場の持つ自然保護力

1992年に国連環境開発会議(地球サミット)で「生物多様性条約」が
採択されました。日本は1993年5月に18番目の締約国として本条約を
締結し、同年12月に発効しました。今、生物の多様性の危惧がいわ
れています。人の手によって管理されてきた地域は、自然界には存在し
得ない独特の環境を形成し、特有の多様な生物を育んでいました。
しかし管理が行われることが少なくなり、多様な生物が生息していた
環境が失われつつあります。ゴルフ場は人が管理することで、かつて沢山
あった農村周辺に広がる「里山」の機能を果たしているとの調査結果が
でています。「南秋田カントリークラブ」は植物と生物にとって環境に
やさしいゴルフ場をめざすことを宣言致します。

開場35周年記念 2011年10月10日


秋田わか杉国体2007記念碑が完成しました

秋田わか杉国体2007が10月4〜6日に開催され、開催記念
としてジュニア選手とクラブ役員出席のもと記念碑が
1ホールに向かう所に建立されました。
碑 文

秋田わか杉国体
ゴルフ競技 少年男子会場
2007年10月4日〜6日

ゴルフはすぐ上手にはならないが
いつ始めても遅すぎることはない。

1929年度R&Aゴルフ倶楽部
キャプテン プリップ・モンクリーフ卿

「ゴルフは人類が歩く事が出来る時から始められ、
   そして歩くことが出来る限り続けられるゲーム」
      ともイギリスの宰相アーサー バルフォアは言っています。
 この国体を機に一人でも多くの人々が
 ゴルフを始めてくれる事を願います。

2007年10月10日 建立
南秋田カントリークラブ




クラブハウス設計 
株式会社レーモンド設計事務

JGA公認コースコースレーティング認定が届きました
JGA/USGAコースレーティング及びスロープレーティングが
下記のとおり決定しスコアカードもリニューアルしました


各ホールティマークは6種類用意しております 
年齢や性別によりプレーヤーの皆様で選んでプレーしてください
Black(黒) Blue(青) White(白) Gold(金) Red(赤) Green(緑)
courselate slope courselate slope courselate slope courselate slope courselate slope courselate slope
Male
(男 性)
73.2 132 70.5 129 69.9 127 66.3 117 65.4 114 62.8 106
Female
(女 性)
80.1 144 76.9 139 76.4 137 71.7 127 70.2 125 66.9 118


バンカーレーキが理事・委員の皆様より
100本寄贈されました☆

長年バンカーレーキの不足と劣化が指摘されていましたが、セルフ
プレーが増加する中、マナーアップの必要性が重要となり、エチケ
ット委員会の発案により理事会で寄贈が決定し、平成22年6月より
グリーン周りのバンカーを中心に設置致しました。マナーが乱れる
ことなく、さらに気持ち良くプレー出来るゴルフ場になれるよう、
皆様のご協力をお願い致します。



友人の MASA NISIJIMA さんよりメールが届きました。とても興味深いお話ですので、
ご本人了解のもと掲載させていただきました。

T
田村 和男 様へ
From: MASA3GOLF@×××.com
Sent: Monday, December 13, 2010 6:33 PM
To: kazuo-23@×××.or.jp
Subject: バンカーレイキの歴史についてTeam Masaメンバー各位&関係者の皆様

某名門クラブのかつてのオリジナル図面に
描かれていた巨大なバンカーから
このコースが完成した戦前当時、日本にはバンカーレイキ
(Bunker Rake )
は存在していたのか?という疑問を
抱くと同時に、ではバンカーレイキの誕生はいつ頃だったのか?
すべてのバンカーにレイキたるものが置いたのはいつからなのか?
ゴルフ史家の皆様にもお尋ねしたところ、
意外にもこの事は知られていないようです。
ゴルフ史の盲点とでもいいましょうか。

1918
年開設のPine Valleyが、今もバンカーは
ペナルハザードとしてレイキを置かない主義を貫いていますが
米国Golf Magazineでの調べでは、1920年代にレイキは存在したが
それはグリーンキーパーたち管理スタッフの為のものであって
けしてバンカーにレイキを配置したという記録が見当たらないそうです。
戦前の古いコース写真を見てもレイキらしきものは見当たらず、
写真に登場してくるのは1950年代に入ってからになります。
私が調べたものでも、レイキはSt.Andrews Edenでの
キーパーがバンカーを均している写真一枚だけです。
米国でもバンカーレイキの歴史は、Golf Club AtlasGolf Course Sience
など、専門家たちのウェブサイトの間でも、昨年話題になりました。

さてゴルフ史家、コレクターとしても第一人者の
藤岡三樹臣氏に調べて頂いたかぎりでは、
バンカーレイクの用語がR&Aのルール上に載るのは
なんと2004年からだそうです。
しかし、1919年にはじめて、バンカーの整地義務が唱えられたそうです。
但し、それは絶対に行わなければならないという文面解釈にはなく
それは打つ前の状態にできるかぎり戻すことが望ましいという内容です。
藤岡さんの話では、当時、プレーヤー達はクラブを使って均していたのだろう
との事でした。

そこで、私はある人の事を思い出しました。
それは神奈川の旧藤沢CC(設計赤星兄弟、アドバイズ C.H.Alison
ご記憶に新しいと思いますが、今年、私はチョイス誌で現存する
クラブハウス通称"グリーンハウス"の記事、題して
"
名士たちの永遠のひとかけら"を掲載しました。)
が開設した1932年、当時少年キャディだった鈴木さんでした。
現在は87才になられる方で、旧藤沢コースの18ホールのジオラマを
作成した方です。
私は鈴木さんにお電話で当時のメンバーたちが、バンカー処理を
どのようにされていたのかお伺いしました。
そのお話しの内容を以下に纏めました。
「当時はバンカーレイキなるものはなく、メンバーの皆さんが
打った後に、足で均し、それがいい加減な時は、キャディが
ご本人様のクラブを使って均しました。当時の藤沢は、斜面に沿って
深いバンカーがあり、赤星さんたちのように一打で出る人はまれだったのです。
当時メンバーたちは12本のクラブをバックに入れていました。
その中にサンドウェッジなんてものはありません。ですから皆さん9I
バンカーを脱出していたのです。
ただ数名の方はダイナマイトという名称のクラブもお持ちで、その方たち
のバッグの中には、アイアンは1I,2Iも含まれていたのです。
藤沢が閉鎖される12年前に、バンカーの脇にレイキが置かれたそうで
それは当時、戦争で男性キャディがいなくなった代わりに、
女性がそれを勤め、その話を彼女たちからお聞きしたことがあります。」

鈴木さんのご記憶が確かであるならば、藤沢の閉鎖は1943年ですから、
バンカーレイキは、日本では194142年頃に登場したことになります。
更に、
私の「当時ゴルフコース造成に関わった地元の人夫たちは数百人は
いたはず、彼等は開設後はゴルフ場で働くことはなかったのですか?」の質問に、
「それは私たち少年もそうでした。大人たちの手伝いにかり出され
そしてキャディ教育を受けたのです。それ以外にも当時工事に関わった
人たちの多くがコース管理に雇われました。」
鈴木さんは電話ごしに夢中になって話して下さいました。
私は更に質問しました。
「鈴木さんが当時のメンバーのことで思い出されることは
ありますか?
鈴木さんは答えます。
「当時、私たちにとってみれば、メンバーは時代劇の
殿様みたいなものですよ。その中でも赤星兄弟のドライバーショット
は、はっきり脳裏に焼き付いています。低い球筋で220240ヤードは
飛ばしていたと思います。それは他のメンバーの飛距離よりもはるか彼方
という感じがしました。とにかくお二人とも背が高く、6尺は超えて
いました。誰よりも体格に恵まれ、そして私たちには"君も大人になったら
ゴルフをするんだぞ"と言って下さる優しい殿様でした。
赤星家の方が来られる時は、キャディマスターも緊張されていました。」

電話で当時のことを回想してもらうのは
あまりにもったいない。
私は明日鈴木さんとお会いする約束を致しました。
きっとまた面白い日本のゴルフ史話がきけるかと思います。

私は常々思うことがあります。Pine Valleyのように
日本の古い倶楽部にも、バンカーレイキなど置かないコンサバティブな
倶楽部があっても、いいのではないかと。
藤岡さんのお話にもありました。
「バンカーはハザードの一部であり、入れることがペナル。
砂面にソールして良いも悪いも、柔らかい砂面にソールすれば
ルール上はライの改善となるのだから、今回の検索結果をもとに
もう一度バンカーに対する基本的意識は改める必要はある。」
今回のバンカーレイキの話、チョイス誌で改めて紹介したいと
思います。

Best Regards
MASA NISHIJIMA

*********************************

U
田村さん

From: MASA3GOLF@×××.com
Sent: Saturday, December 18, 2010 3:58 PM
To: kazuo-23@×××.or.jp
Subject: MASA

藤岡さんが調べてくれたところでは
バンカー脇にバンカーレイキが置かれるように
なったのは、米国では1920年代のオークモントCC
最初だろうとのことです。
当時のオークモントにはパターで出すバンカーがひとつあり
そこはフラットに整地されていなければローカルルール上
宜しくないとの判断で、キーパーが使用しているものを
ひとつ配置したそうです。

日本の当時のレイキは木の板をT字に組み合わせたもので
鉄などの金属は軍からの没収を恐れたのでしょう。

88
才になられた鈴木さん(旧藤沢CC少年キャディ)から
愉しいお話しを沢山お聞きしました。
ひとつは当時のキャディはメンバーとは一切口がきけず
メンバーから声をかけられた時のみ、話せたそうです。
つまり身分の差、貧富の差は凄かった。
日当は4050銭、時にメンバーからチップも頂いたそうで
その額は、50銭から1円。
赤星家は一切チップはくれなかったようです。
その当時藤沢市の庭師の日当が1円〜2円だったそうです。
平日は鎌倉からなどから婦人ゴルファーが20名程度
来られていたそうで、週末は男性のみだったことから
彼女たちは後に隣接して女性だけの会員クラブ、
メリーゴルフ倶楽部を設立しました。

ひとつわかったことがありました。
日本はじめアジアでは何故女性キャディなのか。
戦前は日本も男性キャディだったのですが
戦況があやしくなるにつれ、男性は兵隊にとられる。
そこでなり手がなくなり、
女性がキャディを務めるようになったそうです。
アジアの国も皆同じ状況だったのでしょうね。

Best Regards
MASA NISHIJIMA

*********************************


  


心にのこる18ホール
南秋田カントリークラブ

〒010-0122 秋田県秋田市金足吉田字浅田1-1
TEL 018-873-3824 / FAX 018-873-5940